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書道 7月の課題提出と、書の習性

7/17のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


お盆が明け、想定はしていましたがドタバタの1日でした。明日以降はまた色々と予定が入っていますので、今日にしかできない作業をやらねば、ということでした。完璧ではなかったですが、無事に乗り越えられた気がします。


お盆の片付けの一環で切子灯籠を片付けたのですが、緩衝材になっている古新聞が古すぎたのでちょっとテンション上がってしまいました。江夏や野村という、私は現役時代を拝見したことのない方々の名前が並んでおりました。そんな古くからこの切子灯籠は使われてたんだなぁと、物を大事にしなければいけないと改めて痛感いたしました。


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書道 7月の課題提出と、書の習性

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さて、そんな今日でしたが実は書道の課題提出日でもありました。ホントにドタバタだったので、ほぼすべての課題が一発勝負となってしまいました。とはいえ、それなりに集中して臨んだつもりです。


写真の作品が全てではないのですが、いつもみたいに並べて写真を撮る余裕すらなかったのでご勘弁ください。真ん中の楷書は、前回の教室で書いたもので、約1ヶ月前になります。もはや懐かしさすら感じます。


ここ最近、本業の方で筆を執ることがありました。母に出来を見せたところ、後半になるにつれ線が細いという指摘が入りました。なるほど、そう見えるのかぁと飲み込みつつ、その場では言いませんでしたので、ここでコソッと反論させてください。


字を書くのに主に筆が使われていた時代と、ボールペンやサインペンが主流の現代では、圧倒的に違う点がいくつもあります。その中の一つが、墨継ぎの有無だと考えています(し、そう教わった気がします)。


筆の時代は、何回も墨を付けるのが面倒なので、1回の墨継ぎで出来るだけ多くの字を書こうとしています。これはボールペンやサインペンにはない感覚です。行書や草書を取り入れながら書くのも、画数を少なくして墨を節約するため、という一面もあります。


当たり前ですが、墨継ぎ直後の筆は潤っていて、墨継ぎ直前の筆は乾いています。ということは、墨継ぎ直後の線は太くなりやすく、墨継ぎ直前の線は細くなりやすい、となってくるわけです。必ずしもそうではないので、『なりやすい』という表現に留めておきます。


(下手なのは置いておいて)私が今回書いたかな交じりなんかは、良い例なんじゃないでしょうか。これが太細となり、潤渇となり、作品に奥深さが出て来るわけです(私のはまだ出て来てませんが)。


ということで、後半になるにつれ線が細いという指摘には、『書道ってのは、そういうもんだ』と返せなくないわけですが、母のような人の目に触れるものでもあるので、頂いたご指摘は無視せずに受け止めようと思います。


その書の締切は明日ですので、こちらも引き続き頑張って仕上げてまいります。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。父の書いた字の横に並ぶことになるから、負けてられん。



南無阿弥陀仏

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