最近思っていること
6/12のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日も晴天で、暑い1日でした。関東の梅雨入りはまだ先の様で、今週は特に良い天気が多かったように感じます。雨やじめじめした気候は苦手ですが、晴天が続きすぎるのも困ったものです。全く自分でコントロールできる事柄ではありませんが、それでも天気で一喜一憂してしまいます。
晴天下で外に出る時や運転するときなど、最近はきちんとサングラスをかけるようにしています。ファッションというよりも、目の保護という実務的な理由です。疲れが違いますので、あまり着けられない方は是非かけて目を労わってあげてください。
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最近思っていること ================
さて、今日は最近思っていることを少し書いてみようかなと思います。自分自身の課題と言うか願望と言うか、そんなところです。
昨年の6月に父が入院してから、妻や母や祖母はいますが、僧侶は一人という体制で法善寺を回してきました。6月22日が入院日だったので、まもなく丸一年となります。ただそれより前から体調は芳しくなくて仕事は出来ておりませんでしたので、僧侶一人体制は1年以上が経過しました。
それ以前、法事には父と一緒に出ておりましたので、1人であろうと2人であろうと、法事としてはやること自体変わりません。ただやっぱり、変わっていないはずなのに1人でやる方が大変に感じます。父という後ろ盾があるのと無いのとでは全然違うんだなと実感しました。
そして10月に父が亡くなりました。そこからは長男としての死後の手続きやら、次期住職としてのお寺の事務的な手続きやらでてんやわんやでした。そんなんでドタバタとしている間に葬儀、納骨が終わっていきました。
副住職だったときと今とで、やっていること自体に大差はないはずです。法事や葬儀は私も出仕していましたし、法善寺の会報誌『家庭通信』の執筆は行ってましたし、決算作業だって手を動かしていたのは私と妻でした。ただそれでも、父が住職としていてくれたことで、最終的な責任を取ってくれていたことで、どれだけ自分が楽できていたのかを痛感しています。やっていることは変わらなくても、今ではその全責任が自分のところにやってきます。
また、3月28日には娘が産まれました。とても喜ばしいことですし、もちろん嬉しかったのですが、息子の時にも思いましたが生後半年くらいまでの赤ちゃんと一緒に生活するのは本当に大変です。
妻がその最前線にいることは間違いなくて本当に感謝しているのですが、ずーっと付きっきりでいることは出来ません。ちょっとしたタイミングなどで子供から離れて、その隙に泣かれたりぐずられたりすると、たったわずかな時間にもかかわらず、私には結構な負担に感じます。ずっとこんな時期が続かないから我慢しないと、と頭では理解しつつもやっぱり体や気持ちは反応してしまいます。
こういった事柄に加えて、というか、そのベースにあるのがこのコロナ禍です。自由に人と接することも出来ず、行動は制限され、窮屈な思いをしながら生活すること1年半くらいが経過しようとしています。コロナ禍での生活はボディブローのようにじわじわと効いて、精神を蝕んでいるのは間違いありません。
そもそもお寺に入ってまだ3年ちょい、勉強しなければいけないことが山ほどあることは自覚しています。そんな中ですが、インプットらしいインプットと言えば、声明学園と書道しか出来ていません。どちらも学校と言う形があるので本当に助かっていますが、自分自身で時間を作って取り組む、ということが全然出来ていません。
そもそもそういう風に勉強することが苦手なタイプだとは自覚していますが、そんなことも言ってられません。子供がいるので夜や朝に時間を作るのがなかなか難しいですので、日中のお寺が落ち着いている時間などを利用して勉強せねば、と最近思っています。思っているだけじゃなくて行動します。
だらだらと書いてしまいましたが、結論としては『しんどいけどこの状況は長く続かないし、まだ時間も見つけてやるべきことやれるよね』ということです。過去にも精神的に追い詰められたことは何度もありますが、それでも潰れてきていないので、そこに関しては強い方だと思います。
今の状況が、『あの頃に比べれば楽勝だぜ』と軽々しく言えるほど楽勝ではありませんが、『まあ大丈夫っしょ』という感じでしょうか。まだまだいけるぜ、と前を向きながら今日も寝て明日から頑張ります。おやすみなさい。
南無阿弥陀仏
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