本山での法話に向けて頭を整理
4/5のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今週金曜日の息子の入園式に向けて、慌ただしく準備が進められてきています。ただ申し訳ないのですがその辺りは妻頼みで、毎日コツコツと動いてくれています。
そして今日は、お寺に友人のカメラマンに来てもらい、幼稚園の制服を着ての撮影会をしました。建替え前に記念に撮れたのも良かったですが、息子がより自然な状態で、我々以外の家族とも写真を撮れたのが何よりでございました。妻と、写真館で撮るかどうか迷っていましたが、今回の形にして良かったと思います。出来上がりが楽しみです。
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本山での法話に向けて頭を整理
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気が付けば、本山での法話まで10日を切りました。概要の準備はできているものの、細かいところまで詰められていなく、そのくせ小忙しくしているのでなかなか時間が取れていません。ということで、今日のブログでは、飽和に向けて少し頭の中を整理する回にしたいと思います。お付き合いくださいませ。
まず今回の法話のテーマですが、『道を歩む』とさせていただきました。浄土真宗ではよく、阿弥陀仏に見守られながら生活することを、『お念仏を道を歩む』といった言い方をします。ただこの『道を歩む』という表現はお念仏に限ったことではなく、他の様々な場面でも使われます。そもそも『道を歩む』とはどういうことなのか、お念仏の道と他の道にはどういう共通点があるのか、などについて深掘りできればと思っています。
そんな中でも最初はテーマを分割して、『道』とは何か、『歩む』とは何か、についてお話ししようと思っています。国語辞典的な意味もそうですが、何で『走る』ではなく『歩む』なのか、『走る』時と『歩む』時は何が違うのか、なんで『歩』まないといけないのか、などなど。また当然ですが、お聖教の中にも『道』という言葉が出てきますので、その辺りを引き合いに出していく予定です。
そしたら、武芸の『道』についてもお話ししようかと思っています。私も歩ませていただいている『書道』はもちろんですが、『柔道』『華道』『茶道』など、武芸にも『道』という漢字が当てられています。果たしてそれはどういう意味なのか、お念仏の『道』との共通点は何なのか、『道場』とは何なのか、などなど。一応自分自身の経験を踏まえながら、お話しできる分野かなと思います。
また、先日お彼岸もありましたが、仏教で説かれる『中道』にも『道』という漢字が登場します。さらに、阿弥陀仏のお慈悲を著した、一番有名なんじゃないかと思われる例え話で『二河白道』というものもありますので、その辺りのお話しもする予定です。
最後は、お念仏の道をいかに歩むべきか、というお話で締めさせていただければと思います。こうやって羅列すると話がすぐに終わってしまいそうで不安になってきましたが、その課題を浮き彫りにするだけでも、今日頭の整理をして良かったです。お付き合いいただきましてありがとうございました。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。当日は、ゆっくり話そう。
南無阿弥陀仏
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