母方の祖母の一周忌法要
12/25のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日はクリスマスでした。お寺ですので特に何かやるってこともなく通常運転、その上子供が冬休みだったりするので、逆にいつもよりバタバタとしながら日中を過ごした気がします。というか小さな子供が3人いる中での仕事は、ほぼ無理ゲーです。
個人的にもクリスマスらしいことはほとんどしませんが、結婚してからクリスマスの夜ご飯はケンタッキーというのだけは決まっていて、例に漏れず今日もケンタッキーを頂きました。食べ切れませんでしたので明日の朝ごはんもケンタッキー、というのもいつも通りです。年末年始、ジムに行くのも難しかったりしますので体重管理気をつけていきます。
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母方の祖母の一周忌法要
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昨日はブログを更新できませんでしたが(子供達を寝かしつけた結果、3時まで寝てしまいました)、母方の祖母の一周忌の法要、そしてその後に家族で夜ご飯を食べに行きました。命日は23日でしたが、みんなが集まれるのが24日ということで、1日遅れの一周忌法要でした。
年忌法要は命日より前に、という風潮があるみたいです。もしかしたら他宗さんではそうなのかもしれませんが、法善寺では例えば御門徒さんが49日の納骨をされる時に、『49日より前の方が良いんですよね?後になると良くないんですよね?』とよく聞かれますが、その時には『決してそんなことはないですよ、あくまでタイミングとして49日を目安にしているだけですから』とお答えしています。
浄土真宗の教えでは、信心の具わったお念仏をただの一回でも称えれば、人は亡くなると同時に極楽浄土に往生します。ですので、49日を過ぎてしまうといけないとか、命日より前に法要しなければいけないとか、そういったことはありませんよ、とお伝えしています。
じゃあ年忌法要は何のためにあるのかというと、故人を悼み、その故人のご縁により仏法をまたその身にいただき、そしてそのご縁を作り出してくださった故人に感謝することにあると思っています。だからこそ浄土真宗において法話はより大切でして、お経をあげて終わりではなく、僧侶の口からより分かりやすい言葉で仏教を説かれるわけです。聞く、ということに最も重きを置いているのが浄土真宗なんじゃないでしょうか。
話が少し逸れましたが、そんな1日遅れの一周忌法要を昨日は勤めることができました。母が施主で、我々家族と姉家族が集まり、ご飯を食べてあれやこれやと話をすることが出来ました。ぶっちゃけしょっちゅう集まってはいますが、一周忌のご縁にまた集まって話をするというのが、ある意味年忌法要の意義の一つなのかなぁと思ったりもしました。
祖母が亡くなって一年、あっという間だったような長かったような不思議な一年でしたが、また一つ手から離れていく感覚はありました。今月、お寺の掲示板にも書いた『人生足別離』という言葉が身に染みる、そんな年の瀬の出来事でありました。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。それでもまだ実感はないなぁ。不思議です。
南無阿弥陀仏
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