気持ちを込める
2/7のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日は、今年初めての若手僧侶による勉強会がありました。勉強会自体はもちろんですが、その後の懇親会までとても実りのある時間を過ごすことができました。みなさん年齢が近いですし、最前線でお坊さんしてるので、いちいち話がタメになりまくりです。普段自分が疑問に思っていることなんかも白状できて、とても助かりました。
お坊さんの業界は少し不思議ですが、同業であって競合ではありません(たまに、その限りではない場合もありますが)。こういった横のつながりは、いついつまでも大事にしていきたいなーと思えた、今日の勉強会及び懇親会でございました。
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気持ちを込める
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少し前のブログにも書いた気がしますが、いま改めて、法善寺の歴史や我々の想いを伝えるための読み物を制作しています。3月頃に形になるかな、というところですが、その冒頭の挨拶文をここ数日は考えておりました。
今の自分があるのは、祖父や父、それ以外にもたくさんのご先祖様、そして門徒の方々のおかげであることは間違いありませんが、挨拶文を書き進めるにつれてそのことを再認識できた気がします。どういったつながりで今の自分があるのか、そして次の世代に向けては今の自分は何が出来るのか、その辺りを振り返ることが出来ました。
これからの日本は、今までの日本とは大きく変わっていきます。デジタル化の流れはもちろんですが、少子高齢化によるいびつな人口分布も相まって、我々寺院にとっては変革が求められていくはずです。『葬式仏教』といわれるような、従来の形ではお寺は残っていけいないと思っています。
法善寺の建替え計画も、そういった未来を見据えてのものですが、はっきり言って現時点ではわからないことが多すぎます。なので、敢えて余白を残した形(カッチリ決め込みすぎない)で計画を進めています。多目的室なんかが特に良い例ですが、その時代時代に合わせた何かが出来るように、少しフワッとさせています。
備えあれば憂いなしと言いますが、備えることすらできない事象があるはずで、そのための『余白』な訳です。息子やさらにその下の世代が考えて、何かしたい!となったらそれに対応できるお寺になれれば良いかなと思います。もちろん私だって、建替えが終わったら老け込む気もありません。むしろそこから本番だと思っていますので、ブリブリ頑張っていきますが。
挨拶文を書きながら、やっぱり気持ちって大事だなと思ったわけです。デジタル化によって、便利なので、気持ちをこめずにも取り繕うことが出来てしまったりしますが、何事にも気持ちを込めて歩んでいきたいなと思います。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。明日からまた頑張るぞ。
南無阿弥陀仏
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