決断に責任を持つ
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
すっかり寒い日が続いています。そんな中ですが買い物に行けず、冬用のパンツ(ズボン)をあまり持っていないため、上半身厚着することで乗り越えています。
一時期ネットで服を買ったりしていましたが、特に初めてのブランドだと想像通りのサイズ感で来ることがほとんどないため、最近はすっかりアナログです。大体半年に一回アウトレットに行って服を買う、というサイクルです。そろそろそのサイクルがやってきそうで、楽しみにしています。
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初めての一人での世話人会
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さて、本日は午後に世話人会が行われました。お寺によって『世話人』とか『総代』とか呼び方が変わったり、世話人さんの一部を総代さんと呼んだり、色々あるみたいですが、法善寺ではお檀家さんの中から10名の方々に世話人を務めていただきまして、行事などに際しまして様々なご協力を頂いております。
父の通夜葬儀の時にも裏で色々と動いていただき、本当に助かりました。ただこちらもバタバタとしていてそれっきりとなってしまいましたので、改めて父の葬儀の報告や、私の住職襲職の報告などをさせて頂きました。父がいない僧侶一人での世話人会は初めてで、自分でも意外でしたがとても緊張しました。
今までも、私が司会の様な役割をしてほとんど話し、父がちょこちょこっとだけ口を挟む、というスタイルでやっていたのですが、その『ちょこちょこ』の言葉に助けられていたんでしょうか。住職という後ろ盾がいなくなり、自分で決断していかなくてはいけないという事を改めて実感いたしました。
世話人さん方から見れば私はまだまだ甘ちゃんの若造だと思いますが、今日も私の話に付き合っていただけました。話しながら『あ、こう言った方が良かったかな』と思う場面が何度もありましたが、本当にありがたいことです。
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決断に責任を持つ
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本日の世話人会では様々なことを相談させていただきましたが、その中で一番勉強になったのは『自分の決断に責任を持たなくてはいけない』という事です。
『お寺としてはこうしたいのですが、いかがでしょうか?』と、とある相談をした時に、ある一人の世話人さんが『お寺が決めたことなら良いと思います』と仰りました。支持していただけるのでとても有難いお言葉である一方、決断することの重さも感じました。それと同時に、今までは、この『お寺』という言葉は『父』のことを指していましたが、これからは私を指す言葉になるのか、と思いました。
私が決断する、とは言ってももちろん独裁で何でも一人で決めていく、ということではありませんが、迷った時の最終決断を下すのは私になります。正解が分かり切ったことなら良いですが、どれが正解か分からなかったり、選んだことを正解にしなければいけない場面も訪れると思います。
その時に『○○さんが言ったから』と逃げるのではなく、自分自身で背負っていくのがリーダーの役割だと思いますので、いつまでも甘ちゃんではいられません。世話人さんは小さい頃からお世話になっている方々ばかりですので、つい甘えてしまいそうになりますが、成長した姿を見せていくのが何よりも喜んでいただけると思いますので、いっちょ前になれるように頑張ります。
父の逝去に伴い、急にこのような立場に置かれましたが、若い内にこの立場に来られるのはある意味運が良いことだとも思います。これからも今日みたいに緊張する場面が訪れると思いますが、『緊張することは成長痛みたいなもの(by ローランド)』という言葉もありますので、有難く頂戴していきます。
南無阿弥陀仏
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