法衣を新調します
1/31のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
ついに1月も最終日となりました。2021年にすらしっくり来ていないうちに2022年となり、そして1ヶ月が経ったということです。早い以外の言葉が思いつきません。
何かしたような、何もしなかったような1ヶ月。2月は『宗教を知ろう』もありますし、家庭通信の執筆も待ち構えていますし、アクセルを踏んでいかなければいけません。頑張っていきます。
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法衣を新調します
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今日は法衣屋さんが来てくださり、住職襲職の記念として世話人さんたちにご用意いただく法衣の採寸を行いました。実は、白衣にしろ間衣にしろ裳附にしろ、祖父か父の法衣しかなく、私の法衣というのは持っていませんでした。ちょっと小さいなとか、ちょっと大きいなとか、何だかな〜とか思いながらずっと着ていたので、自分だけの法衣を仕立てられるのはとても楽しみです。世話人さんたちには感謝でございます。
ちなみに今日いらした法衣屋さんに、普段着ている白衣と裳附を見ていただきましたが、白衣は少し大きくて、裳附はだいぶ小さいとのことでした。自分で着ている感覚そのままだったので、『やっぱりか』という感じです。道理で立ち上がる時に白衣の裾を踏んでしまう訳です。
今日見ていただいたのはおそらく父の白衣でしたが、父は私と身長はほとんど同じです。だけどその大きめのサイズの白衣を着ていたということは、そういう着方が好きだったということでしょう。和服ですので、帯の締め方とか、どれだけタイトに着るかとかで、同じサイズでも若干のずれが生じます。父は確かに、たくし上げて着るのが好きだった気がします。着方に正解があるかは分かりませんが、私にとっては大きいので、改めてジャストサイズのものをお願いいたしました。
父のものはサイズ的にそこまでズレがないので良いのですが、私より小さかった祖父の法衣も未だにいくつか残っています。大体165cm用くらいじゃないかな?と思いますが、息子が大きくなった時に使えるかな、と一体何年先になるかわからない中で、色々言い訳をしながら残しています。要は捨てられないんですね。
着物が高価なものということもありますが、やっぱり法衣の一着一着に祖父の息づかいが残っているような気がして、なかなか手放せません。お坊さんでありながら物に執着してしまうとは何事だ、と怒られてしまいそうですが、こういう気持ちは大事だなと思っています。
と言いながらも、ずっと置いておいても傷むだけですので、いつかは何らかの方法で手放さなければいけません。結論を先延ばしにしているみたいで性に合わないのですが、こういう非効率的なことも良いかなと思って(と言い訳して)、そんな自分を受け入れています。
新しい法衣が完成しましたら、またご報告させていただきます。引き続きご注目ください。
南無阿弥陀仏
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