浄土真宗所縁の場所を巡る旅を振り返る②
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
久々に風邪を引いてしまいました。このご時世、風邪を引くだけでビビりますが、熱も無く、咳も出ず、ただただ鼻水が出続けるという症状でしたのでコロナではありません。耳鼻科に行って診てもらい薬をもらいました。薬飲んで寝ればすぐに治りそうで、良かったです。
ということで、本当に久々にお寺に全く行かない日となりました。家でおとなしくしていました。明日起きたら100%になっていることを願っています。
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浄土真宗所縁の場所を巡る旅を振り返る②
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さて引き続き、2年前の年末に行った旅の中から『浄土真宗所縁の場所』を振り返っていきます。
テーマは変わっても、注意書きは変わりません。あしからず。
今回のシリーズはあくまで『振り返り』ですので、いま旅に出ているわけではありません。私は東京にいます。また、実際に私が訪れた順番ではなくて、まとめるために関連性から順番を決めています。ご容赦ください。ちなみに写真は、全て私が(多分)撮影したものです。
今日は、まだご紹介できていない真宗十派の本山を巡っていきます。
では行きます。
●『佛光寺』(京都市下京区)
~真宗佛光寺派の本山~
↑山門
↑御影堂(内観)
↑高僧の坐像
京都市高倉通仏光寺にある真宗佛光寺派の本山です。始まりは元応2年(1320)に事実上の開基・了源が京都山科に造立した興正寺に由来します。その後間もなく、興正寺は都の中心部に近い汁谷に移転しますが、この時に寺号を興正寺から佛光寺に改称しました。天正14 年(1586)になって、豊臣秀吉により現地へ移転させられています。
佛光寺の現在の御影堂は明治17年に再建されたもので、その内部には康永3 年(1344)に造られた了源の影像が安置されています。また、明治37 年(1904)に再建された本堂には、平安時代末期に造られた阿弥陀如来像と、元応2年(1320)に了源が仏師・湛幸に造らせた聖徳太子像がまつられています。
京都市街の中に馴染んでおり、街と共に歴史の古さを感じることが出来ました。
●『真宗本廟(東本願寺)』(京都市下京区)
~真宗大谷派の本山~
↑正門
↑御影堂
↑本堂(内観)
興正寺は親鸞聖人を開祖とする、真宗興正派の本山です。寺号は、日本に仏教をひろめた聖徳太子の事績にちなみ、『正しい法を興し栄えさす』との意味が込められているそうです。
創建は鎌倉時代まで遡ります。当初は京都の山科に建立されたそうですが、数年を経て山科から京都東山の渋谷へと移りました。その際、ご本尊が光を放ったことから、後醍醐天皇より『佛光寺』の寺号を賜り名を改めたそうです。
そして室町時代に、蓮教上人が佛光寺を弟に譲り、多くの門徒と共に再び山科の地に興正寺を興しました。その後は本願寺と歩調を合わせ、桃山時代に現在の地へ移転したそうです。西本願寺に隣接した立地で、外から見ただけでは、一つの大きなお寺と勘違いするほどでした。
●『豪摂寺』(福井県越前市)
~真宗出雲路派の本山~
↑正門
↑阿弥陀堂(左)と御影堂(右)
↑御影堂(内観)
毫摂寺(ごうしょうじ)は、福井県越前市にある浄土真宗の寺院で真宗出雲路派の本山です。 天福元年(1233)、親鸞聖人が山城国愛宕郡出雲路(現・京都市左京区)に草庵をつくり、長男である2代目善鸞上人に附与されたのが始まりとされています。
天正2 年(1574)、越前一向一揆の兵火にあい、さらに證誠寺との争いが起き、善秀(第11世)は失意のうちに没しました。嗣子として柳原家より迎えられていた善照(第12世)は教線の拡大につとめ、慶長元年(1596)に寺基を現在地に移して再興したそうです。
明治5 年(1872)、教部省設置にかかる指令により浄土真宗本願寺派と合同しましたが、明治11 年(1878)、同省廃止をうけ独立して改めて一派を成しました。
誠照寺などと同じく福井県内なので、車ですぐ回る事が出来ました。昔は證誠寺と本末関係(豪摂寺が末寺)にあったそうです。
●『専照寺』(福井県福井市)
~真宗讃門徒派の本山~
↑正門
↑阿弥陀堂
↑御影堂(内観)
真宗讃門徒派の本山です。今より約700年前の正応3年(1290)、宗祖・親鸞聖人の法脈を継承する開基・如導上人が仏法興隆のため、現在の福井市大町の地に一宇を建立、寺号を『専照寺』と称したところからはじまっています。
現在地に移ったのは享保9年(1724)ですが、天保8年(1837)には大火により本堂・御影堂をはじめ全ての建物が全焼したそうです。その後復興を果たしましたが、堂塔伽藍は昭和23年の福井大震災で御影堂を残し御本堂、その他、全て倒壊しました。しかし現在宗門の一丸となっての努力により、再建されつつあるそうです。
また宗派名ですが、私が訪れた2018年12月時点では『三門徒派』でしたが、2020年11月29日に旧来の呼称とされる『讃門徒派』と改められました。
この専照寺を含め、福井県には真宗十派の内、四派の本山がありました。『北陸は真宗門徒が多い』というお話は聞いたことがありましたが、今回の度でそれを実感いたしました。
今日はこの辺で。『親鸞聖人の足跡を巡る旅』から含めて、真宗十派の全本山をご紹介することが出来ました。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
明日も『浄土真宗所縁の場所を巡る旅』編をお届けします。親鸞聖人が信仰していた、聖徳太子にまつわるお寺をご紹介しようと思いますので、引き続きお楽しみに。
南無阿弥陀仏
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