『浅草キッド』を観ました
1/12のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
iPad生活4日目、様々なコンテンツを楽しめるようになり、充実しております。もうこれまでもこのブログで色々と書いてきてしまったので、特段言うことも無くなってきましたが、引き続き使い続けられるように、使いやすいように工夫しながら、iPadと付き合って行きます。
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『浅草キッド』を観ました
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さて、そんなiPadで見たわけじゃありませんが、就寝前の空き時間を使って数日に分けてですが話題の映画、『浅草キッド』を観ました。柳楽優弥の演技が凄すぎて、大泉洋との掛け合いが気持ち良すぎて、とても惹き込まれました。地元浅草ということもあり、『あー、ここは今のホッピー通りだなー』とか『そうそう昔は映画館多かったよなー』とか思いながら、そういう意味でも楽しむことができました。
ネタバレにもなりますので詳細をあまり書くつもりはありませんが、いくつか描かれれているテーマの内、『時代の移り変わり』について少し感じたことがあったので書いてみようかなと思います。
ざっくり言うと、『浅草キッド』の時代には、舞台の時代からテレビの時代に移ろいゆく中でした。波に乗れたもの、乗れなかったもの、乗らなかったもの、がいたわけですが、上岡龍太郎も言っていましたが、その当時は舞台の人間からすれば、テレビは素人芸とされていたみたいです。本当の芸は舞台で見せるものだ、という考えでしょうが、結果的にはテレビのほうがメジャーとなって、お金も稼ぎ出して、多くの才能がテレビを目指すことになりました。
これと全く同じ流れが最近でもあって、それがテレビからYouTubeへの変化です。今でこそYouTuberも市民権を得て憧れの職業にまでなりましたが、黎明期にはYouTuberはテレビの人たちから完全に下に見られていました。舞台の人がテレビの人に言っていたように、あれは素人芸とされていました。
この流れについては講談師の神田伯山がラジオで言っていて、とても興味深く聞いていたのですが、いつの時代もそうやって新しい時代が作り上げられていくわけですね。今では多くの芸人がYouTubeのチャンネルを持っています。
お寺も今がまさに時代の移り変わりの時期なんじゃないかと思っています。葬儀の縮小化、人口の減少、地域社会の崩壊、様々な要素があり、まだそこまで致命傷に至っていないかもしれませんが、確実にじわじわとお寺の首を絞めていっています。今までの在り方では生き残っていけない未来が、10年後くらいにはやって来るんじゃないでしょうか。
演芸の世界と同じように、こういう時代の過渡期に色々とやると、色々と言われることも増えていくと思います。実はメンタルが弱い私はそういう言葉にいちいち凹んだりしますが、それでも自分の考えを信じて進んでいくつもりです。もちろん今の考えに固執するのは良くありませんので柔軟に行きますが、『何もしないのが正解』はあり得ないと思っているので、暗中模索しながらも一歩一歩進んでいきます。お檀家さんのため、地域社会のため、そして子供や孫のためにも踏ん張って頑張っていこうと思いました。
ということで、『浅草キッド』は、そんな気持ちにさせてくれる素晴らしい作品でした。まだの方は是非ご覧くださいませ。
南無阿弥陀仏
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