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父の祥月命日

10/15のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日から衆議院選挙が始まったみたいです。27日が投開票日だそうで、それまでは選挙カーから流れてくる候補者の名前を聞く日が続きそうです。


個人的には、誰に、どこに投票するか今は全く決めていません。ただ総理が代わったことで、自民党の下野する確率は下がった気がします。野党もまとまりがありませんし。まぁ、そんな大局観は持ちつつも、最後は自分の考えで決めるつもりですが。


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父の祥月命日

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さて、そんな今日ですが、父の祥月命日でした。令和2年に亡くなったので、今日で4年が経ったことになります。もういい加減、父のいない日々が新たな日常となり生活していますが、あっという間の4年間だった気がします。


毎年この時期になると、有り難いことに父の友人がお参りに来てくれます。その際に色々とお話をさせていただきますが、皆さんの元気さに、父がいかに若くなくなったかを改めて気付かされます。


4年前にはまだお腹の中にいた長女は3歳半を過ぎ、もう立派な子供(?)です。1歳になる次女までいて、あの頃に比べると我が家は騒がしくなりました。その余波はお寺にも届き、騒がしいお寺になってしまっているかもしれません。


私自身で言えば、僧侶として何か大きな事があったわけではないですが(住職継職以外では)、日々の歩みを地道に続けている感はあります。日々のお勤めはもちろんですが、自坊でやっている声明学園に通ったり、独立寺院連絡会の講習会に参加したり。


なにか一発派手なこともしたいのですが、結局は地道なことを続けるのが一番な気がしています。地道なことを続けられる環境にいられることに、感謝しなければいけません。


そんな歩みの中で、特に声明においては、父にまだまだ追いついていないと気付かされます。はっきり言って父は声明に関しては天才的なところがありましたので、ここから努力して追いつけるのかは分かりません。ただ、得意の一歩一歩地道にということを続けて、少しでも近づければと思います。


恥ずかしながら、亡くなってからの方が、父と会話している気がします。親が亡くなるというのは、そういうことなのかもしれません。いつまでも、あると思うな、親と金、ですね。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。あと2年で七回忌か。



南無阿弥陀仏

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