物騒な現代に思うこと
4/16のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日からNBAのプレーオフが始まりました。最近自分自身はバスケ出来てないし、結果を追っているだけですが、いよいよこの時期がやってきたなーと高まっております。やっぱりレギュラーシーズンとは選手もファンも熱量が違います。プレーも激しくなるので難しいかもしれませんが、誰も怪我のない状態で最後まで公平に戦って欲しいなと思います。
ちなみに八村選手が所属するレイカーズは明日試合があります。レギュラーシーズンの最終順位こそ低いですが、シー人後半戦の追い上げは素晴らしかったので、アップセットもあり得ると思っています。がんばれ。
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物騒な現代に思うこと
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昨日の岸田総理襲撃の事件もそうですが、物騒な事件が立て続けに起こっている気がします。これは日本だけではなく全世界的にそうなのかもしれませんが、特に日本においては、一般人が銃を所持することが許されていませんし、そもそも治安がとても良いはずなので、物騒なことが起こると目立って見えてしまいます。
情報化社会と言われて久しい現代ですが、いよいよ人間が本来扱える以上の情報や思想や思考で、世界が溢れてしまっている気がします。かくいう私も、何かをしながら情報をインプットしたりしています。顔洗いながら、お皿洗いながら、YouTubを見たりしているわけです。無駄な時間を作りたくないという貧乏根性があったりしますが、冷静に考えればそこまでインプットする必要もないのかもしれません。
もちろん、情報を仕入れることで新たな世界が見える、ということはあります。ニュースの背景を知っていれば、より深くニュースを理解できますし、世界の見え方が変わってきます。それはそれで重要なわけですが、不要な情報で押しつぶされてしまうことだってあります。
別に爆弾の作り方とか銃の作り方なんて知りたくありませんが、調べればいくらでも出てきてしまう現代です。興味本位で調べてみちゃったり、ちょっとイライラしている時にそんな情報に触れちゃったり、周りの人に感化されちゃったり。普段の自分ならそんな情報に触れないし、触れてもなんとも思わないかもしれませんが、人間は感情の生き物ですので、その時々でどう感じるかは自分でも分からなかったりします。
そんな負の出来事が、たまたま連鎖して重なることで、いつの間にかとんでもないところに来てしまった、ということだってありそうです。情報は溢れているし、人の数だってたくさんいます。確率論で言うのは良くないのかもしれませんが、こう考えると、世の中に物騒なニュースが出てきてしまうのもある意味仕方ないのかな、とも思えてしまいます。
そんな中で、宗教者として自分には何ができるのかと考えたりもしますが、やっぱり大それたことは出来ません。自分が辛うじて影響を与えられるだろう周囲5メートルを気遣いながら、その円(縁)が、広がっていけば良いなと思います。コツコツと、目の前のことを頑張り続けるしかありません。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。そりゃ、世界平和を望んではいますが。
南無阿弥陀仏
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