現状に満足する心も必要
2/26のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日も今日とて書道の作品作りを空き時間でやっておりました。ここに載せられるレベルではないのですが、なんとか一枚書き切り、ようやく全体像が見えてきた気がします。
正信偈の『摂取心光常照護~~是人名分陀利華』までを書くのですが、この間に『雲霧』という言葉が、しかも割と短いスパンで、3回も出てきます。これをどうやって書き分けようかというのに苦心しておりますので、こういったところも先生にアドバイスを求められればなと思っております。
なんにせよ、継続は力なり。引き続き邁進してまいります。
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現状に満足する心も必要
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2日ほど前になりますが、ロシアのウクライナ侵攻がきっかけとなった戦争が始まってから、2年が経ったとニュースが流れていました。侵攻を開始した当時の驚きはいまだに色あせることなく、そして今でもその悲劇が続いていることにも驚いています。
日本にいると平和に生きられることが有難いことでもありますが、同じ地球で、同じ時代を生きる一人の人間として目を背けてはいけない問題でもあります。能登地震でもそうでしたが、事のあまりの大きさに、自身の非力さに気を揉んだ方も多いのではないでしょうか。
幸か不幸か、第二次世界大戦をきっかけに日本はとても平和な国になりました。戦争は絶対にしないと宣言し、国内でも武力による争いもほぼありません。
ただ、先日の本山婦人会での法話に向けて資料作成をした際に改めて気が付きましたが、それまでは日本も戦争や争いの絶えない国でした。仏教伝来から見ると蘇我氏と物部氏の争いから始まり、鎌倉時代、戦国時代、幕末、世界大戦、と多くの戦を経験してきています。
そう思うと、今の時代において、平和を享受できているのは当たり前ではなく、本当に本当に有難いことだというのが見えてきます。
親鸞聖人が得度を急ぐ中で『明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは(明日があると思っていると、桜の花がはかなく散るように、機会を失うことになる)』という短歌を詠まれたと言われていますが、こういった心持で過ごしている人は、今の日本においては少ないのではないでしょうか。
それなのにまだまだ文句が尽きないのが我々人間でもあります。もっともっと、という欲望が人を成長させることは間違いありませんが、それが行き過ぎて現状に有難みが感じられなくなるのも違います。要は塩梅ですが、きちんと現状にも満足しながら、前に進んでいきたいものです。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。地に足着けよう。
南無阿弥陀仏
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