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祖母の遺品整理をして思ったこと

6/20のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


本当に梅雨なのか?と思うほど、めっきり雨が降らなくなってきたここ最近です。晴れの方が何かと行動しやすいので嬉しいのですが、空梅雨で『節水!』となるのは嫌なので、それなりに雨は降ってほしいところです。どうせ梅雨なので諦めもついておりますし。


そういえば先日は父の日だったみたいです。ご飯に行く、とかはありませんでしたが、前から欲しかった帽子をプレゼントしてもらいました。暑くなるこれからの季節に活躍してくれそうです。母の日もそうですが、こういったイベントごとは細く長く続けていければ、と思っています。


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祖母の遺品整理をして思ったこと

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今日は午前中に、昨年末に亡くなった母方の祖母の家を片付けに行きました。片付けとは言っても、もうほとんど目ぼしいものは無く、売却前の最後の確認、みたいな感じでした。


残されている本、茶器、食器などを一つ一つ確認し、お寺で使えそうなものや、ご門徒さんにお配りできそうなものを選定していきました。祖母と言えば陶芸のイメージはありましたが、おそらく茶道から派生して陶芸をやっていたんじゃないでしょうか。逆に茶道のイメージは無かったので、茶道具がたくさん出てきたことに驚きました。


また、他にも様々な遺品を見ていると、祖母が芸術に明るい人だったんだなぁということにも気が付きます。茶道や陶芸はもちろんですが、華道の本やら美術の本やらも出て来ます。レザークラフトの道具なんかも出てきて、『え、そんな趣味あったの?』と今更になって知らない一面に触れられました。


祖母は物をとても整理された状態で暮らしており、おかげで見ているこちらもとても楽です。むしろ、行くたびに我々が汚なくしているんじゃないか、というくらい整理整頓されています。特に今回はタンスやら何やらをひっくり返しましたので、申し訳ないくらいの惨状にして帰ってきてしまいました。


ご高齢になるとどなたも、『遺す家族に迷惑はかけたくない』と思うものだと思います。おそらく祖母もそういう気持ちがあって整理整頓していたと思いますが、かける迷惑がゼロになることはありません。ただ別に、こちらとしてはそれを迷惑だとも思っていなくて、片付ける一つ一つの作業が弔いであり、祖母との会話だったりします。今日もたくさんお話させてもらった気持ちです。


とはいえ、今日みたいなステップを踏むごとに祖母が離れていくような感覚に襲われます。今日も、いつもの駐車場に停めて、祖母の家まで向かう道中では『家にいるんじゃないかな?』という感じもありましたが、実際行ってみると当然ですが居ないわけで。『あぁ、やっぱり亡くなったんだな』ということをそこで再確認するわけです。


死は出来事としては一瞬かもしれませんが、受け入れる側からすれば一瞬ではありません。時間であったり、仏事であったり、遺品整理だったり。そういった一つ一つのステップで受け入れていくものなんだなということを今日改めて実感しました。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。生きている間にもっと話をしたかったな、と思うのは世の常なんでしょうか。


南無阿弥陀仏

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