祖父を偲んで
3/28のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日3月28日は、祖父の命日でもあり、娘の誕生日でもある、一年の中でもとても特別な1日です。そして今年で、祖父が亡くなってから8年、娘が産まれてから2年が経ったということになります。あんなに小さかった娘が(まだまだ小さいですが)、もう2歳になるのかと感慨深くもなります。気が付けば、息子は来週から幼稚園です。
また、年度末ということで締め作業も順次進めております。お寺って同じような一年を毎年繰り返していくのだと思っていましたが、ここまでは毎年全然違う一年を過ごしています。そして建替えがあることで、来年も、再来年も絶対に違う一年になっていきます。どうなるかは分かりませんが、引き続き柔軟性を持って対応していこうと思います。
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祖父を偲んで
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子供もいたりでバタバタとした毎日を過ごしていますが、命日くらいは祖父のことを想い出してみます。8年も経ったので『偲ぶ』という表現が正しいのか分かりませんが、偲んでみます。
祖父との一番昔の記憶は、朝のお勤めを一緒にしていたことでしょうか。きっかけは覚えていませんが、幼稚園の年長か小学校入ったくらいには毎朝のお勤めを祖父と一緒にしていました。冬には、とにかく寒い本堂でしたので、ご本尊の正面ではなく脇にあるストーブの前に座りながら正信偈を唱えていたことを思い出します。
小学3年生になり、得度に向けて阿弥陀経の稽古をつけてくれ、得度が終われば報恩講に向けて御俗姓の稽古をつけてくれました。小学校の高学年になりいつの間にか朝のお勤めを一緒にはしなくなってしまいましたが、幼い時からつけてくれた稽古が今の私の礎になっていることは間違いありません。
時は流れますが、今振り返っても、親鸞聖人の750回忌を祖父・父・私の三代揃って勤められたことは本当に良かったなと思います。その約半年後に祖父は亡くなってしまうわけですが、本当に最後まで力を振り絞っていたんだなぁと今になると理解できます。
亡くなって8年が経ちますが、相変わらず私は祖父の七光に助けられながら日々を過ごしています。『あなたのおじいさんには大変お世話になりましたよ』と言っていただけることが、私にとっても何より嬉しいことだったりします。私も、息子やまだ見ぬ孫にそう思ってもらいたいなと願いながら、僧侶として歩んでいるつもりです。亡くなってからも祖父の姿を追いかけられるのは、有り難いことです。
お寺のように、世襲制だと窮屈だと思われがちですが、幸い私自身はそんなに窮屈さを感じておらず、逆に祖父や父の影があることで、私自身も暴走せずにいられている気がします。お天道様が見ているよ、だけでなく、ご先祖様が見ているよ、という視点も持ちながら毎日を過ごしています。
祖父に追いつくことは大変ハードルの高いことではありますが、一歩一歩近づけるようにまた明日から努力していきたいなと思います。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。また声明も頑張ろう。
南無阿弥陀仏
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