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福岡にて、御文のお稽古

6/21のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日は久々に福岡に来て、お声明の出稽古をつけていただきました。気付けばもう10回くらい福岡に来ていますが、こんな何者かもわからないような輩にいつも懇切丁寧に教えていただき、本当に感謝でございます。今日も多くの気付きを頂けました。


これだけ福岡に来ていますがいまだ一度も泊まったことはありません。福岡日帰り出張のレコードを打ち立てているんじゃないかと思いながらも、今も空港でブログを書いております。帰りの車も気を付けて運転してまいります。


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福岡にて、御文のお稽古

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そんな今日のお稽古ですが、『御文(おふみ)』についてご指導いただきました。五帖御文とか御文章とか呼ばれたりもする御文ですが、本願寺八世の蓮如上人が書かれた、平たく言えばお手紙です。今から500年くらい前の時代の方で(1415-1499)、たくさんの御文を書かれて浄土真宗の教えを日本全国に弘められた方と言われております。


蓮如上人の御文を受け取った方が、周りの方々にそれを読み聞かせることで布教したわけですね。その当時はテレビやメールやCDなどは無かったため、こういったやり方で布教活動をされたわけです。


そんなこんなで現代でも御文をお読みしているわけですが、前述の通り、御文は『読み』『聞かせる』ものとなります。なので我々も読むときは、聞き手に届くように読まないといけません。今日も何度も『聞いてる人が~~』と聞き手の目線に立ったご指導を頂きましたが、読み手の満足ではなく、聞き手の満足を考えた上で読まないといけません。


私の癖としては、何事にも共通していますが、ズバリ早口です。特に、長い御文であったり、次の区切りまで長い節だったりすると、早くなりがちです。


私としては御文本を開きながら読んでいるので、早く読んでも意味が分かるかもしれませんが、音だけで受け止めている聞き手は果たして理解できるのかというと分かりません。聞いているだけで、ちゃんと一語一語分かるように読むのが良い、とのことでした。意識しているつもりでも、なかなか実践するのは難しいものです。だからこそお稽古をつけていただくのですが。


ちなみに、お稽古以外のお話も貴重な時間です。昔の東本願寺の雰囲気だったり、そもそも声明とは何なのか、みたいなお話もお聞き出来ます。時代もありますが、お寺に入って5年ちょっとの私には到底経験できないことばかりですので、面白いお話ばかりです。


夏にかけてちょっと私がバタバタしそうなので次回は決まっていませんが、またお邪魔することは間違いありません。稽古つけてもらうことだけに満足せず、言われたことを実践できるよう日々のお勤めに精進していこうと思います。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。中洲とか行ってみたいばい。


南無阿弥陀仏

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