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笑顔と言霊

9/10のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


先日秋のお彼岸のご案内をお送りしていたのですが、何名かに誤った内容の郵送物を送ってしまっていたことが判明しました。こちらのミスなので本当に申し訳ないのですが、その後処理を昨日今日とやっておりました。


一応完了を見たと思っていますが、まだ判明していない何かがあるかもしれません。その場合は、恐れ入りますが法善寺までご連絡いただけると有り難いです。恐れ入りますが、何卒よろしくお願い致します。


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笑顔と言霊

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道端で笑っている人を見れば、顔見知りじゃなくてもなぜだかこっちも嬉しくなるし、前向きな言葉に触れると、別に友達でもないけどこっちも頑張ろうと思えます。反対も然りで、悲しそうな人を見ればこっちもそうなるし、ネガティブな人に触れるとこっちもそうなります。


類は友を呼ぶ、と言ったりしますが、笑顔溢れる人の周りには笑顔が溢れていて、いつも怒っている人の周りには怒りのオーラが溢れています。これはどうやら世の常みたいですが、仏教で説かれる縁起の良い例かなぁと思ったりします。


縁起はそもそも仏教用語ですが、因縁生起という言葉から来ています。因や縁が生まれ起こる、と字の如しですが、ざっくり言えば周りから頂く影響のことを指していると個人的には解釈しています。いま一般的に使われている縁起とは、もともとの意味はちょっと違うというこです。。


その縁起によって、全ての物事や出来事が成り立っている、というのが仏教の考え方で、我々は毎日毎日様々な縁起をいただきながら生きています。そして、その縁起によって自分が自我だと思い込んでいる部分が形成されているわけです。


自分では選べない縁起もありますが、選べる縁起もあるわけで、前向きになりたければ前向きな言葉に触れるようにする、というのは効果があるはずです。こんな風になりたい、と思う像があるならば、毎日それを言葉にして口に出すだけで違うでしょう。言霊というやつでしょうか。


なんてことを思いついて書きながら、自分自身も実践できてないことに気が付きました。出来ることからやってみます。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。出来れば怒りたくないのだが。



南無阿弥陀仏

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