節談説法の勉強会に参加
5/10のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日も日中、空き時間に書道の課題制作を行いました。今日は楷書と創作をやるつもりだったのですが、楷書はともかく創作は全然納得がいかず、一旦明日へ保留となりました。納得できる作品はなかなか書けないと言いますが、それ以前のレベルにしかまだ達せていませんので、もう少し試行錯誤してみようと思います。
そんな書道ですが、実は先輩僧侶に誘っていただき、『高野山競書大会』なるものへの出品も予定しております。ただまだ全然取りかかれておらず、今月が締め切りですのでこちらにも取り掛からないといけません。幸い半紙サイズですのでそこまで時間はかからなさそうですが、お題や書体は自由ですのでそれを考えるのに時間を使いそうです。
バタバタとしておりますが、せっかく教えていただいた機会ですので、限られた時間の中で精一杯の力を尽くしたいと思います。
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節談説法の勉強会に参加
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今日は、また別の先輩僧侶に誘っていただき、節談説法の勉強会にお邪魔させていただきました。節談説法とは、普通の法話ではなく節を付けた法話の手法のことで、落語や講談の元になっているとも言われています。あまり詳しく無いので細かい説明は省きますが、浄土真宗をはじめとする寺院では、節談説法を取り入れているお寺もちらほらいらっしゃいます。
私自身は全くの素人ですが(本山の法話でプロジェクターを使ってくらいです)、知っておいて損はないだろうということで今日はお邪魔させていただきました。会場は築地本願寺です。いわゆるお西のお寺ですが、大谷派や我等が東本願寺のお寺の方もいらっしゃっており、超派的な集まりでございました。
内容としましては、何名かの方々が節談説法の実演をされて、それに対してみんなで感想や意見を言い合う、というものでした。他の方の法話を聞くというのはありそうであまりない機会ですので、とても良い経験になりました。みなさんお上手で、私なんかが場違いな場所に来てしまったかな、と思いましたが、こういった機会をいただいたことに感謝でございます。
節談説法を聴きながら色々なことに考えを巡らせていたのですが(聴き流していたという意味ではありません)、多少強引かもしれませんが、書道とも共通点があるなと思ってしまいました。
長く説法をしたとしても、相当聴き込んだ方じゃなければ、一般的には心に残るのは1フレーズか2フレーズくらいだと思います。『あぁ、あんなことを言っていたな』と話が聴き終わった後に思うポイントは限られてきます。
書道も、何十文字という作品を書いたとしても、目に入ってくるのは1文字や2文字だったりします。全部の文字を精一杯書いたとしても、パッと作品を見た時の第一印象で飛び込んでくる字が作品の印象を決めたりします。
その『本当に伝えたいこと』や『本当に見せたいもの』をどうやって際立たせるか、もう少し言えば、何が自分にとって『本当に伝えたいこと』や『本当に見せたいもの』なのかを理解することがとても大切なのかなーと、聴きながら思っていました。細部にこだわることはもちろんめちゃくちゃ大事なことですが、それは『本当に伝えたいこと』や『本当に見せたいもの』のために時には死に役になってしまうのかも、と思いました。分かっちゃいるんだけど、これが難しいわけですが。
そういう意味では、今日の法話は、こういったテーマでお話ししますと事前に仰っていたのがとても良かったと思いました。聞き手としても、それがポイントなんだな、と覚悟して話に入り込むことができます。私自身が節談説法をするなんてのはおこがましいですが、色々な視点を知ることでとても勉強になる会でした。
今日もブログをお読みいただきありがとうございます。築地本願寺は何度見てもすげー建物だなぁ。
南無阿弥陀仏
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