素晴らしい法要が何よりの法話
10/7のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日は1〜2か月に一度の福岡出張の日でした。東京は雨が降ってめちゃくちゃ寒かったですが、福岡は秋の陽気という感じで過ごしやすいです。今は福岡空港で飛行機を待ちがてらブログを書いていますが、これから東京に戻ると思うと寒さが怖いです。
それにしても空港に来ると、だんだんとコロナが明けているのを実感できます。ガラガラだった駐車場が満車になり(遠くの駐車場に停めたため、飛行機に乗り損ねかけた)、ガラガラだった機内も埋まり(帰りは隣に人が居ませんように)、人の往来が戻ってきているのが一目瞭然です。このまま順調に、パーっと行きたいところですね。
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素晴らしい法要が何よりの法話
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今日も福岡で声明のお稽古だったわけですが、今回も大変多くの学びを得ることができました。ありがとうございました。
今日は声明だけでなく、御作法の稽古もつけていただいたのですが、頭では理解しているつもりでもいざやるとなると出来なかったり、慣れていないため動作が辿々しかったりしましたが、その辺りを的確にアドバイスしていただきました。それだけではなく、自分で引いている合格ラインよりももっと上のことを教えていただけますので、驚きながらも楽しめています。こういうところが、独学では難しいところだな、と思います。
そんな今日のお話の中で、本義を理解する、というものがありました。どうしても声明というのは節だったり作法だったりを取り沙汰したくなりますが、本来の目的を理解しなくてはいけませんよ、ということでした。何のために節がついているのか、何のためにそのような作法になったのか、という根っこの部分を理解していなければ、薄っぺらい法要になってしまいます。
昨日の声明学園で、先生が『素晴らしい法要というのが、何よりの法話になります』と仰っていましたが(その方曰く、私の祖父から聞いたそうですが)、親鸞聖人や蓮如上人のお言葉を届けるために節や作法があるわけです。なので、今日のお言葉も相まって、『法要が素晴らしいということが、なによりも教えを届けることになるんだよ』ということなのかなと理解しました。
法善寺の報恩講が11月3日に厳修されますが、こういった席では初めて私が法話をさせていただきます。法要に先立っての法話になりますので、この辺りの法要の意義をお話しさせていただこうかなと思います。その後の法要こそが、何よりの法話になりますように、全力で勤めさせていただきます。
今日もブログをお読みいただきありがとうございます。気が付けば報恩講まで1か月を切りました。準備しないといけんばい。
南無阿弥陀仏
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