練習は本能との戦い
1/18のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
統計的には1月の後半から2月頭くらいが一番平均気温が低いみたいですが、今年はその統計通りになっていきそうです。明後日から1月の下旬に入りますが、寒い日が続きそうですし、月曜日は雪予報です。外で作業される石屋さんも、月曜に入っていた作業をどうしようか迷われておりました。
といっても、なんだかんだ東京は年間通しての降雪量はほとんどありません。この時期が終われば雪を見ることすらほとんどありません。が、次は花粉だやってきます。ニュースによれば今年はここ10年で最大量の飛散になりそうだとのことで、早い人はもう花粉を感じているそうです。私も花粉症持ちですので、マスクと目薬常備で、なんとか乗り越えようと思います。花粉症の人たち、頑張っていきましょう。
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練習は本能との戦い
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昨日の書道教室なり、明日に迫った声明学園なり、私は大人にしては習い事(と言って良いのか分かりませんが)をしている方だと思います。どちらもお坊さんとして必要なものではありますが、こうやってインプットに時間をたくさん使えるのは、とても贅沢なことで有り難い環境にいることを実感しています。
書道なり声明なり、上達するにはどちらも練習をしなければいけません。そして練習とは、ある意味本能との戦いでもあります。本能のまま、体が動くままに動かしていては決して上達はしません。自分の癖、弱いところ、強いところ、そこらへんを意識しながら、今までの自分がしていた動きとは別の動きをしなければ、上達はあり得ません。
そして自分の本能的な動きを理解するためにも、先生が必要です。自分自身では当たり前のように動いておりますので、始めは何が正しくて何が間違っているかなんて気が付きません。他の人から見たときにやっとその辺りが浮き彫りになってくる訳で、そうすると自分を俯瞰した視点から見ることができるようになります。
本能に逆らう訳ですから、練習とはもちろん辛い作業です。書道なんて大体毎回苦しいですし、声明だって思った音が出なければイライラしたりもします。ただまあ、その先にしか上達はない訳で、そして私の場合は仕事にも直結しているので、やらなければダメなんですね。ある意味我ながら、サボり魔の自分を上手に追い込んでいるなと思います。
その流れで、仏教の知識吸収も自分の行動の流れに組み込みたいなと、ずいぶん前から思っています。東本願寺学院に通っているときは、ある種強制的に勉強できたので良かったのですが、卒業してからはなかなかまとまった時間を取れていないのが現状です。どうにかせねば。
今日もブログをお読みいただきありがとうございます。明日は声明学園。
南無阿弥陀仏
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