自分という楽器
3/10のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
暖かい日が続き心地よい日が多い一方で、花粉が猛威を振るっております。『花粉症は公害だ!』という声が上がっておりますが、花粉症患者からするとその気持ちは切実に理解できて、ほとんど何も動いてなさそうな政府を見ては、ため息をこぼしています。
幸い私はスギ花粉だけなので、あと2週間くらいだろうと腹を括っております。引き続き、目薬とマスクに頼りつつ、なんとか乗り越えられれば幸いです。
#毎日目薬5回くらいさす
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自分という楽器
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昨日は木曜日でしたので、声明学園がございました。この世界にいても思いますが、1週間に一度稽古があり、それが学校として回っているというのは本当に凄まじいことです。わが祖父ながら、すごいものを作り上げたなと思います。
私が所属する研修科は、引き続き前半は伽陀、後半は五帖御文の勉強でございます。月曜日にボイスクリニックに行き、『喉に力が入りすぎていますね』と言われてから、喉に負担をかけない発生方法を模索しているつもりですが、なかなか上手くいきません。というか、よく分かりません。喉を開く感覚がいいのかな、もっとお腹から声を出したほうがいいのかな、などと試行錯誤をしております。
そんな影響からか、昨日の授業では音程が取りづらいことが多々ありました。自分という楽器は何とも繊細で、何とも扱いにくいものだなと改めて実感しました。
そう思うと、父や祖父の声明は安定していた気がします。『今日ここの高さ出てないな』とか『あ、声が裏返った』と思うことはあまりなく、いつ聞いても同じお勤めをしていたと思います。私の知らないところで、発生法を工夫したり、喉のケアを行なっていたのかもしれません。
まだまだその域に達していないことを不甲斐なくも思いますが、これから先を考えれば今はまだまだ基礎を作り上げる時期なのかもしれません。いろいろ試しながら、自分に合った方法を見つけ出して、長い声明生活を歩んでいければなと思います。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。早くボイトレしたい。
南無阿弥陀仏
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