自力ではさとり難き凡夫である、ことを覚る
3/19のブログです。
こんにちは。
法善寺住職の中山龍之介です。
お彼岸2日目でございました。昨日と打って変わっての快晴で、日向にいると暑く感じるほどの1日でした。こんな景色を拝めるのも最後かもな、と思いながら境内の写真をパシャリとしましたが、建替えがなかなか始まらないおかげで、こんな写真を何枚も撮っている気がします。何にせよ、良き天気でした。
お参りの方の数は、予想通りとても多かったです。昨日来ようと思ったんですけど寒くて、とおっしゃる方も結構いて、まだまだ仏法が雨風に勝てていないことを実感しました。また、テレビで受ける印象よりも、マスクを外している方が多かった気がします。逆に私は花粉症なのでマスクをしていましたが、徐々に前の日常を取り戻してきている感じがして嬉しかったです。早く私も外したい。
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自力ではさとり難き凡夫である、ことを覚る
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そんな今日でしたが、午後には声明の会もございました。みんなでお経を読んだり、正信偈の解説をさせていただいたり、近況を雑談したりする会です。お彼岸期間中ということもあり、いつもより多くの方にご参加いただき、嬉しい限りです。私にとっても、法話よりもカジュアルに、双方向的に仏法のことをお話しできる機会ですので、やっぱり大事にしていきたいなぁと思える会でした。
正信偈の解説では、とある本に則って、始めから流れに沿ってお話ししているのですが、今回から道綽禅師のパートに突入しました。ざっくり言えば、自力ではさとり難き我々凡夫にとって、他力によってお念仏申し上げることだけが唯一の道である、という部分になります。この、自らを『自力ではさとり難き凡夫』であることを覚ることが、浄土真宗においては信仰の最初の一歩かなと思っているのですが、その本では、『便利になった現代ではなかなかそうは感じにくいですよね』と書いてあって、まさにその通りだよなぁと思いました。
昔を生きたことはありませんが、『どうする家康』なんかを見てみると、今の我々は相当に恵まれているんだろうなと感じます。日本の歴史上の大大偉人である徳川家康よりも、今の私の方が遥かに良い生活をしているはずです。冷暖房の効いた部屋で過ごし、ちょっと駅前まで行けば美味しいご飯屋さんがあり、体調が悪ければ病院に行ってすぐにお薬をいただくことが出来ます。
確かに、そんな現代では苦しみを感じにくく、自分が『自力ではさとり難き凡夫』であるとは感じにくいのかもしれません。ただ本質的に、苦しみがなくなったわけではありません。苦しみを遠ざけ、蓋をし、先延ばしにしているだけで、ふとした時に苦しみと向かい合わなければいけなくなります。
そういった時に、阿弥陀仏の後ろ盾があることでどれだけ救われることか。大丈夫、かならず救うぞ、と仰ってくださる存在がいるだけで、どれだけ心強いか。そこに寄りかかれることで、心が確かにふっと軽くなります。
宗教離れが叫ばれて久しい昨今ですが、こういった宗教的な心の支えは、どんな人にも必ず必要なんじゃないかと思っています。雨風に負けず、こういった仏法の本質的な支えをもっとちゃんと説いていかないといけないなぁと感じた、今日の声明の会でございました。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。次回の声明の会は4月16日です。ご参加お待ちしております。
南無阿弥陀仏
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