自力を諦める
11/19のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
明日からサッカーワールドカップが開幕することを今知り、驚いております。周りを見ても正直あまり盛り上がっている感じもなく、そして今でも日本代表の第一試合がいつなのか分かっていません。というか正確に言えば、調べればわかりますが、調べる気になっていません。日本代表メンバーも半分以上知りませんし、こんな情報の届いてこないワールドカップは初めてかもしれません。
テレビをあまり見ないという私の要因もあると思いますが、そもそも地上波で日本代表の試合をしなくなった、ということも影響している気がします。短期的に見ればオンデマンドのDAZNやら何やらに高く放映権を販売できて良いのかもしれませんが、長期的に見ると、特に私のようなライト層のファン離れを引き起こして先細りしていく気がしてなりません。まあ、どの時点の数字を見ているのかによってその価値観は変わっていくので、何とも言えませんが。
かと言って、誰が出てるかも知らん日本代表なんぞ負けてしまえ!なんていう思いはなく、応援はしています。やっぱり何だかんだスポーツ観戦は面白いですし、どのような競技でも、日本全体で心置きなく応援できる機会って日本代表戦しかありません。是非とも過去最高の結果を出してほしいものです。
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自力を諦める
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本当につい最近の話ですが、法要の前に龍角散を飲むようにしています。効能的には飲むというよりも、喉に塗り込む、の方が正しいのかもしれませんが、龍角散のど飴や龍角散ダイレクトではなく、小さな缶に入ったストロングスタイルの『龍角散』を頂いております。
元々父が愛用しておりまして、法善寺にはRPGのセーブポイントのように至る所に龍角散が置いてあります。寒くなってきたこともあり、先日喉の調子が少し不安に感じたタイミングで使わせていただきました。気休めだろうと思っていたのですが、予想よりもガッツリ効いてくれて驚き、そこからは毎法要前に頂いています。怖いので今更消費期限なんかを調べるつもりもありませんが、とにかく効いているので良いかな、という感じです。
最近欠かさず飲んでいるサプリもそうですが、年齢を重ねていくと、自分自身の力だけではなく、外的な力も借りるようになってきます。少し前まではそれすらも拒否して、何とか自力で!と足掻いていましたが、諦めることで何とも楽になることやら。こんなことならもっと前から頼ってればよかったわ、と思う始末です。
自力と他力というのは、浄土真宗で良く使われる言葉です。我々凡夫の力のことを自力、阿弥陀仏のお力を他力と呼んでいます。サプリや龍角散を他力と呼ぶことで、『阿弥陀仏とおんなじだ!』というつもりは毛頭ありませんが、私たちの苦しみというのも、自力で解決するのではなく、他力に解決していただく、と考えると少し楽になるのかもしれないな、と思いました。
ちなみに、龍角散やサプリに頼る前に、私は『諦める』という行為をしました。『自力で風邪をひかない体質にするんだ』ということを諦め、『自力で喉の調子を整えるんだ』ということを諦めたわけです。『諦める』という言葉はマイナスなイメージが強い言葉かもしれませんが、元々『諦(たい)』には『真理』や『真実』という意味があります。ですので、『諦める』は『真実を見極める』という意味になり、決してマイナスな言葉ではありません。
そしてこの『諦める』ということは、阿弥陀仏の他力に依るときにも必要なステップになります。自力で何もかもが叶うと思っている人には、『諦める』ということが出来ません。そういう人が口だけで称えた『南無阿弥陀仏』には信心が備わっているはずもなく、それは本当のお念仏とは呼べないのかもしれません。『南無阿弥陀仏を称えれば誰でも救われるんでしょ?』と言われる浄土真宗ではございますが、ご信心を頂くことが何とも難しいことなのかを改めて考えさせられた出来事でございました。
今日もブログをお読みいただきありがとうございます。明日も龍角散にお世話になります。
南無阿弥陀仏
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