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葬儀について、改めて学ぶ

8/28のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


ご門徒の方々に向けては家庭通信(法善寺の会報誌)にてお知らせしますが、建替えについて大きな動きのあったこの1週間でした。理想と現実の間に挟まれながら、あれやこれやと動いておりました。


なかなか難しいなぁと思う反面、なかなか経験できないことをさせてもらえてるなぁ、という思いもあります。支えてくださってるご門徒さんのためにも、早く形にできるよう頑張ります。


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葬儀について、改めて学ぶ

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さて、そんな今日ですが午後に独立寺院連絡会の講習会がありました。独立寺院連絡会とは、40年ほど前のお東騒動にて大谷派から離脱した(独立した)お寺の集まりでして、2ヶ月に1回くらいのペースで集まって勉強をしています。


今日のテーマは『葬儀の実践』でございました。僧侶たるもの葬儀はお手の物、と思われるかもしれませんし、そうでなければいけないのですが、実際にはちょっと違います。


知らず知らずの内にクセがついてしまっていたり、細かいところがどうだったか怪しくなってきたり。それらを修正するための、今日の講習会でした。


実際今日の講習会では、声を出すことはもちろんですが、細かいところについての質問も飛び交っていました。どこどこの音の下がりはどうだとか、キンを叩くタイミングがどうだとか、全体のペースがどうだとか。


そんな中でも、講師の方が仰っていた『葬儀のお勤めは、陰と陽でいえば陰』という話が印象的でした。


もしかしたら一般的には、僧侶がするお勤めは全て陰として捉えられているかもしれません。ただ実際には、『陽』に当たるお勤めはあって、報恩講や永代経等がそれです。


何が言いたいかというと、同じものを読むにしても、陰の場面(葬儀など)で読むときと、陽の場面(報恩講など)で読むときとでは、読み方が変わってくるということです。


こういうのを、時処相応のお勤めと言ったりしますが、これがきちんと出来てこその僧侶なんですね。細かい確認をしつつ、新たな発見もあった、今日の講習会でございました。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。こういう講習会は、やっぱりありがたし。



南無阿弥陀仏

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