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表現者としての資格

11/25のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


今日から本番の報恩講に出仕させていただいております。多かれ少なかれ、ここ数年は報恩講のどこかで出仕をしておりますので、今年もそんな季節がやってきたなぁという感想です。


ここでしかお会いできない方もたくさんいらっしゃいまして、毎度毎度、まるで同窓会やなぁという感じもします。ただまぁ、この歳になると1年に1回お会いするという頻度は、結構高めな気もします。


これもある種の仏縁でございますが、そんな機縁を生み出してくださっていることにも感謝をしながら、お勤めをさせて頂きました。体とスケジュールが許す限り、28日まで出仕させていただく予定です。


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表現者としての資格

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先日のことですが、友人とご飯を食べているときに、私が学んでいる書道の話になり、『個展とかやらないの?』と聞かれました。私としては、実力が及んでいないために全くその発想がなく、そう聞かれたことに大変驚きました。


ただ、『実力が及んでいない』とは思っていますが、果たして『実力が及ぶ』と思える日はやってくるのでしょうか。世の様々な表現者たちは、自分にはその実力がある、という理由で表現しているのでしょうか。おそらくですがきっとそんなことはなく、表現したいから表現する、という方が正しいのではないでしょうか。


私の好きな『BECK』という漫画の中で、ベテランバンドマンが若いバンドマンに『自分が上手くなってから人前に立とうだなんて思ったら、あっという間に年老いてしまう。考える前に飛べ、だ。』という言葉をかけるワンシーンがあります。まさか、私にその言葉が降りかかってくる日が来るとは、思ってもみませんでした。


とはいえ、現状すぐに個展を開こうというのは、なかなか難しい話なのも事実です。私のスケジュールや気持ち、体の状態、そして何より費用の問題があります。そもそも、急ぐ話でもありません。


ただありがたいことに、私にはお寺という場所があり、会場費という意味ではクリアになります。建替えが終わって綺麗な庫裏になったら、数年に一度個展を開いてみるのも面白いのかもしれません。それまでは、表現したい何かを自分の中に溜め込む期間としたいと思います。


別に誰かに強制されたわけではありませんがひょんなことから、思いがけずに表現者の側に立たされそうになっていることに、ワクワクしている自分がいます。もしかしたらこのワクワクこそが、表現者としての資格なのかもしれません。


今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。人生何があるか分からんな。



南無阿弥陀仏

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