親鸞聖人の足跡を巡る旅を振り返る②
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
今日は月に一度の、独立寺院連絡会の声明講習会がありました。普段自分ひとりでお勤めをしていると、何となくで済ませてしまっていたり、ヘンな癖がついてしまっていたりするところを、声明講習会ではきちんと勉強することが出来ます。とても助かる勉強会です。
また今日は12月15日という事で、父が亡くなってから2ヶ月が経ったことになります。短いような長かったような2ヶ月でした。やっぱり未だに受け入れ切れていない部分がありますが、こればっかりは時間が解決してくれるものだと思っています。お寺のことも不安だらけですが、やるしかありません。引き続き頑張っていきます。
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親鸞聖人の足跡を巡る旅を振り返る②
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さて昨日から引き続き、2年前の年末に行った『親鸞聖人の足跡を辿る旅』を改めて振り返っていきます。
昨日も書きましたが念のため、、、
今回のシリーズはあくまで『振り返り』ですので、いま旅に出ているわけではありません。私は東京にいます。また、実際に私が訪れた順番ではなくて、まとめるために関連性から順番を決めています。ご容赦ください。
親鸞聖人が歩んだとされるルートを図式化したものがこちらです。(ざっくりとなってしまい恐縮ですが)京都でお生まれになり、流罪で越後に流され、関東に向かい、そして京都に戻られて御遷化、というのが親鸞聖人の歩まれた道です。今日はここから、得度と修行時代に関するお寺をご紹介いたします。
では、レッツラゴー!
●『青蓮院』(京都市東山区)
~親鸞聖人お得度の地~
↑入口
↑正門
↑中庭
↑中庭
↑植髪堂(現在もこの場所でお得度をされるそうです)
↑親鸞聖人童形像
↑聖人植樹の楠
京都市東山区粟田口三条坊町69-1 にある、天台宗の門跡寺院です。親鸞聖人が出家得度された場所として顕彰されています。しかし、親鸞聖人が実際に修家得度されたのは現在の青蓮院から程近い三条白川坊(東山区三条白川橋付近) だそうです。そこが鎌倉時代の末の元弘年間(1331 ~ 34) に火災で焼失した為に、それまで十楽院という里坊だった現在の境内地に本坊を移し、以来ここが青蓮院と呼ばれるようになったそうです。
実際拝見した感想としては、中庭(写真3・4枚目) がとても綺麗なのが印象的でした。特に紅葉の季節には、たくさんの方が観光に訪れるようです。門前には親鸞聖人が植えたとされる楠(写真7枚目) がありました。インド・ブッダガヤの菩提樹を彷彿とさせるような、とても迫力のある樹でした。
●『比叡山延暦寺』(滋賀県大津市)
~親鸞聖人修業の地~
↑比叡山山道
↑根本中堂(修復中)
↑大講堂
↑常行堂と法華堂
↑比叡山から望む琵琶湖の景色
↑大乗院前
↑大乗院
↑ケーブルカー延暦寺駅
滋賀県大津市にある、いわずとしれた天台宗の総本山です。高野山と比叡山は、仏教に詳しくない方でもご存知なんじゃないでしょうか。
南北8 キロメートルにわたって連なる海抜750 ~ 850mの山並全体が延暦寺の聖域とされていて、根本中堂を中心とする東塔、釈迦堂を中心とする西塔、それに横川(よかわ) 中堂を中心とする横川という、三つの大きな地域に分かれています。山道な上にこれだけのエリアに広がっていますので、なかなか歩いては回り切れませんでした。
親鸞聖人が9歳から20年間修業した比叡山の中でも、特に関わりが深い所は東塔無動寺谷(むどうじだに) の大乗院(写真⑥・⑦)と、横川の楞厳三昧院(りょうごんさんまいいん)です。この大乗院は建久3年(1192)、聖人の得度の師とされる慈円が復興した御堂で、聖人もここで勉学に励まれていた可能性があります。
楞厳三昧院は比叡山の中ではわずかに西塔に、廊下で結ばれた常行堂と法華堂(共に文禄4 年(1595) 建立 写真④)があり、「弁慶のにない堂」と呼ばれて親しまれているそうです。この唯一残された常行堂の所に「親鸞聖人旧跡」の石碑が建てられています(痛恨の写真撮り忘れ)。
ちなみに私が訪れたときは、根本中堂(写真②)は現在修復中でした。ただし中に入ることは出来て、朝のお勤めを見学した際には1200 年途絶えていない「不滅の法灯」を拝見しました。全体的に、冬という事で人が少なく、自由に見て回ることが出来ました。山道はとても疲れましたが。。。
明日は法然上人との出会いから、流罪になられたときの所縁あるお寺を巡っていこうと思います。お楽しみに。
南無阿弥陀仏
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