親鸞聖人の足跡を巡る旅を振り返る③
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
先日提出した年末調整ですが、案の定(本当に申し訳ございません)不備がありまして、本日戻しを頂きました。どこをどう直せば良いのか教えていただき(本当にありがとうございます)、速攻で直して再提出させていただきました。これ以上問題が無いことを祈っています。
今年は本当に苦労しましたし、来年も苦労するかと思いますが、何となく要領が分かってきた気もします。来年は出来ればノーミスで終えられるよう、頑張ります。
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親鸞聖人の足跡を巡る旅を振り返る③
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さて引き続き、2年前の年末に行った『親鸞聖人の足跡を辿る旅』を改めて振り返っていきます。
ずっと書いていますが念のため、、、
今回のシリーズはあくまで『振り返り』ですので、いま旅に出ているわけではありません。私は東京にいます。また、実際に私が訪れた順番ではなくて、まとめるために関連性から順番を決めています。ご容赦ください。ちなみに写真は、全て私が(多分)撮影したものです。
親鸞聖人が歩んだとされるルートを図式化したものがこちらです。(ざっくりとなってしまい恐縮ですが)京都でお生まれになり、流罪で越後に流され、関東に向かい、そして京都に戻られて御遷化、というのが親鸞聖人の歩まれた道です。今日はここから、法然上人の出会いから流罪になられた際に御縁のあったお寺をご紹介いたします。
では、行ってみましょう。
●『頂法寺・六角堂』(京都市中京区)
~親鸞聖人参篭の地~
↑正門(写真右の異物は私の指です)
↑親鸞聖人像
↑本堂
↑六臂如意輪観音
↑親鸞堂
↑親鸞聖人 夢想之像
京都市中京区堂之前町にある天台宗系単立寺院です。古くは『六角堂』と呼ばれて、聖徳太子が建立した日本最古の寺とされてきました。本尊は六臂(ろっぴ) 如意輪観音だそうです。
ここは親鸞聖人が比叡山での修業に限界を感じ、100 日参篭を行ったとされる場所です。その参籠の95 日目に夢のお告げを聞き、吉水(現安養寺) の法然上人の元に向かったと言われています。
六角堂は昔から京都町中の観音霊場として信仰され、特に民衆が夢告を受ける参籠の寺として有名になりました。当時は聖人の様に、参篭( 寺に籠り夢告を待つ) をする方も珍しくなかったそうで、私がお邪魔した現在も多くの方が参拝に来ていました。境内奥の親鸞堂には、親鸞聖人が夢のお告げを聞いておられる姿『夢想之像』が安置されています。
平安時代末期には太子信仰の隆盛に伴い、この地が太子建立の寺だと言い出だされたそうです。おそらく親鸞聖人もそれを信じてここに参籠されたのではないでしょうか。
●『安養寺』(京都市東山区)
~親鸞聖人の師・法然上人の禅房~
↑入口
↑本堂
↑東山(平成30年9月の台風の影響で倒木だらけでした)
京都市東山区八坂鳥居前にある時宗の寺です。親鸞聖人の師である法然上人が、比叡山を下りて念仏の教えを広めていた場所で、法然上人がおられた吉水の禅房を慈円大僧正が護持した寺と伝えられています。
円山(まるやま)公園の東側にあるが、吉水の禅房は円山公園内の八坂神社裏の場所に位置していた。現在の本堂へ登るところに『法然親鸞両上人御旧跡』と刻まれた石碑があり、本堂内には両上人の木像も安置されていました。
裏には東山が広がっていましたが、平成30年9月の台風の被害がひどく、倒木だらけでした。
●『誠照寺』(福井県鯖江市)
~親鸞聖人流罪の道~
↑入口・四足門
↑駆け出しの龍
↑御影堂
真宗十派のひとつ、真宗誠照寺派の本山です。如道(如導)を中心に形成された如道教団(後の三門徒)に属した道性の子・如覚の系統をひきます。
寺伝によると親鸞が承元の法難で越後国へ流罪となる途上、越前国上野ヶ原の豪族波多野景之の別荘に滞在し、景之に弥陀本願の要法を説いたのが機縁であるとされています。これにより、親鸞聖人が流罪になり最初に説法をしたと言われているのが、この誠照寺および次の『車の道場』とされていて、この地は真宗の初転法輪の聖地と呼ばれています。
正門に当たる『四足門』の横には『駆け出しの龍』が彫刻されており、文久2 年(1862) の大火災の際、水を吐いて門を守ったと伝えられているそうです。
親鸞聖人が流罪となったことで師である法然上人の元を離れ、浄土真宗への道を歩み始めた、貴重な場所を感じることが出来ました。
●『車の道場』(福井県鯖江市)
~親鸞聖人流罪の道・初転法輪の地~
↑本堂
↑阿弥陀如来像
↑六字名号(南無阿弥陀仏)の石碑
車の道場は、北陸路における祖師聖人随一の御旧跡です。真宗の初転法輪の地とされ、聖人流罪途上の輿車に因んで『車の道場』とよばれます。現在は上野別堂(うわのべつどう) とも称し、一つ前にご紹介した誠照寺の別院となっています。
親鸞聖人が初転法輪した場所とされているのがこの車の道場です。まだ教行信証を書いていない聖人がどのような事をお話しされたのか、様々な考えを巡らせながら参詣させていただきました。
このお寺の所縁は、地方の豪族であった波多野景之(法名空然)が自身の茶寮を念仏道場に改め、聖人の第五子・道性を請い住職としたことに起因しています。
安置されているご本尊は、慈覚大師の直作の阿弥陀如来であって、これは宗祖聖人御形見の背負の御木像です。本堂は京都帝国大学工学博士天沼俊一氏の設計により復興され、総桧48 本の柱をもって築かれ、室町時代を模した寝殿造りです。小さいながらも、重厚感あふれる本堂でした。
今日はこの辺で。昨日よりはペースアップできました。明日は越後に向かっていく道中のお寺を紹介していきます。北陸を登っていきますぞ。お楽しみに。
南無阿弥陀仏
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