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豊かになっても幸せじゃない

3/13のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


ここ数日、お寺のネット環境が悪い状況が続いていました。こんな時は再起動だ、と思い昨日モデムやルーターの電源を引っこ抜いて再起動したのですが、とうとう全く繋がらなくなってしまいました。これは困ったな、と思いNTTに問い合わせて調べてもらうと、NTT側にもプロバイダ側にも問題はないとのことで、恐らくルーターの問題です、と言われました。


ということで、以前にもネット環境が悪くなった時に買っていたルーターに付け替えて(その時は気合で直ったので買ったけど使っていなかった)、設定し直すと、無事に繋がりました。しかも以前のルーターよりも良質なので接続が速くなった気がしますし、より遠くでもwifiを拾えるようになった気がします。怪我の功名という事でしょうか。前のルーターは割と長いこと使ってきましたのでお役御免です。ありがとうございました。


ちなみに、複合機は新たなネット環境に接続することが出来ませんでした。これは明日にでも業者の人に来てもらって再設定してもらうしかありません。お彼岸はすっきりとした状態で迎えたいものです。


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豊かになっても幸せじゃない =======================


いつ、誰から、何で聞いたのかは思い出せませんが、『大抵の歴史的な偉人よりも、ほとんどの現代人の方が良い暮らしをしている』という話を聞いたことがあります。


たしかにほとんどの現代人は、徳川家康よりも美味しいものを食べられていますし(ラーメンとか)、卑弥呼よりも快適な住居で暮らしていますし(エアコンあるし)、坂本龍馬よりも美味しい飲み物をたくさん知っています(コンビニ行けば山ほどある)。アメリカ大陸を発見したと言われるコロンブスよりも、遥かに早く快適に世界を巡ることだってできます。


時代が流れるにつれてどんどんと恵まれてきているのは間違いなくて、その積み重ねで数百年単位で見れば生活レベルは全く変わってきます。日本は貧乏になっていると言われたりしますが、それでも普通に暮らしていれば餓死することはほとんどないはずです。大飢饉なんて言葉は、現代では使われることは無いでしょう。


ただそれでも、幸せかどうかと聞かれれば別の話です。生活自体が豊かになっていて、それはきっと幸せを探求しているからなのに、結局幸せになれているかは分からない、というのはなかなか皮肉な話です。人間は欲深いと言いますか、幸せというのはあくまで相対的なものなんだなと思い知らされます。


なんか達観した感じで書いていますが、私だって結局幸せを掴めているのかは分かりません。子供がいて騒がしい毎日を送っていますが、見る人から見ればこれだって幸せです。子供たちが騒がしいから離れたいと思っている中、たまたまコロナに罹りホテルに隔離されましたが、結局子供たちに会いたいなーと思ってしまう始末です。わがままこの上ありません。


何が幸せなのか、人生の優先順位を決めましょう、と良く言われますが、これは本当に難しい作業です。これがあれば幸せだろう!と思ったところで、それを手に入れてみるとまた別の景色が見えてきたりするものです。だからこそ人生楽しいのかもしれませんが、欲に振り回されるような人生にはしたくないものです。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。まずは今の環境を幸せだと思い、周りに感謝する気持ちを持ちたいものです。



南無阿弥陀仏

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