貧しくなる我々の心
8/7のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
雷がゴロゴロ鳴る中、家で黙々と作業をしていました。建替えに向けての重要な作業なんですが、今日の日中はなかなか手が付けられなかったので家に持ち帰っての作業です。
こういう時間は意外と苦痛ではなく、誰にも邪魔されずに落ち着いて作業できるので、むしろ好きな時間だったりします。とは言え作業自体はセンシティブなものなので気は使い、少し疲れました。
一段落しての、箸休め的な感じでブログを書いています。今日もお付き合いいただければ幸いです。
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貧しくなる我々の心
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オリンピックの日程がどんどんと進む中、選手への誹謗中傷が激化しているみたいです。私はあまりX(旧ツイッター)は見ないので分からないのですが、ミスした選手だとか采配が怪しかった監督に対して、そして審判へのものが多いみたいです。
見てる側としては、何でもかんでも受け入れて肯定して応援する、というのも違いますが、あまりにも行き過ぎた発言や発信は誹謗中傷となってしまいます。アスリートに限らずですが、メディアに多くさらされる人たちにとっては、現代ではこの手の攻撃は日常化してしまっています。
この現代の特徴の要因としては、匿名性があるからオブラートに包めず発言できる、一個人の発言がネットを通じて全世界に届けられる、ネットによってマイノリティの意見がマジョリティのものであるかのように錯覚する、と様々あると思います。ただやっぱり、心の貧困化というのが根底にあるような気がします。
ネットやSNSの恩恵を沢山受けている私ですが、あまりにも情報が多すぎて嫌になることも多々あります。豪華で贅沢な生活を発信している人を見れば『うらやましいなぁ』と思ってしまいますし、愚痴や批判の言葉に触れると『そっちに私の気持ちを持っていかないでくれ』と思ってしまいます。
私のように感じている人は恐らく相当数いるはずで、それが行き過ぎるとどんどんと心が貧しくなってしまいます。他者と比べて自分が何者でもないように思え、自己肯定感が下がり、幸福度が下がっていく。それによって他者への攻撃に転じてしまう、みたいな流れで心の貧しさがこの現代の特徴の根底にいるのではないでしょうか。
かくいう私も、もしかしたら心が貧しくなっているのかもしれません。日々のなんてことない些細な事にも幸せを感じていたいのですが、そうもなっていない自分がいます。子供たちを見て、全力で楽しむ生き方を学ぶのも良いかもしれません。
今日もブログをお読みいただき、ありがとうございます。隣の芝はいつだって青い。
南無阿弥陀仏
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