集まれ ほとけの子
7/14のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
お盆2日目、昨日よりもスローではありましたが、天気が崩れなかったおかげか、想定よりも多くの方がお墓参りにいらっしゃっていました。
お盆期間中は午前11時より勤行をしておりますが、明日は私が外出しておりますのでお休みとなります。予めご承知くださいませ。明後日金曜日、お盆最終日は予定通り午前11時より勤行をします。よろしくお願いいたします。
さて先日、本山東本願寺の婦人会が発行する『さくら』という機関誌(季刊誌?)に、拙筆ではありますが原稿を掲載していただきました。ご掲載いただいたのは『集まれ ほとけの子』というコラムでして、子供を授かった方々より、子供の成長とその育児を通して、み仏様のお心を聴聞させていただく聞法者としての成長日記だそうです。
その趣旨に沿った文章になっているかは謎ですが、一応ご掲載いただいたものをこのブログでも公開させて頂こうと思います。実物は法善寺にも置いてありますので、ご興味のある方はお声がけください。もしくは、玄関に置いてありますので、お手に取ってお持ち帰りください。本誌では、写真なども掲載されています故。
ではでは、ブログに掲載するにあたり一部編集し直しましたが、宜しければご一読ください。
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集まれ ほとけの子
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本山・東本願寺からも程近い上野にある法善寺で住職を務めております、中山龍之介と申します。妻とは趣味であるバスケットボールを縁に知り合い、平成二十八年(西暦二〇一六年)に結婚しました。その後、令和元年九月に長男、令和三年三月に長女を授かりました。ここでは二人の子供たちについて、また慣れない子育てに悪戦苦闘する日々の中で感じたことを、拙筆ながら書かせていただきます。
第一子である息子が産まれた令和元年、私はまだ東本願寺学院に通っていました。昼はお寺、夜は東本願寺学院とバタバタと過ごしており、その分妻が頑張って子育てをしてくれました。よく泣く子でしたが、第一子という事もあり、親戚や門徒さんたちもとても喜んでくれ、皆様のおかげで順調に育っていきました。
息子が1歳になる少し前、第二子の妊娠が分かりました。ちょうどその頃新型コロナウイルスが猛威を振るっており、妊娠の知らせは沈んでいた心に一筋の光を差しこんでくれたようでした。
ただそんな娘の妊娠期間中に、私の父であり法善寺の住職でもあった中山秀成が亡くなりました。妊娠が分かる前から父は入院しており、入院中に妊娠の報告は出来ましたが、直接会うことは叶いませんでした。産まれた娘を、そして日々成長していく二人を傍で見ていて欲しい気持ちがありますが、大変残念で仕方ありません。
娘は息子とは違って、静かで良く寝る子です。日々お寺の仕事もしながらの育児はなかなか大変です。とは言っても、主には妻が見てくれているので私はサポートするくらいのものですが、まだまだコミュニケーションが取れない子供を二人も相手にするのは体力的にも精神的にもしんどいものです。しかしそのくせ長男は、こっちがスマホを見ていると近寄ってきて『ぶーぶー見たい(はたらくくるまの動画が見たい)』と言ってきたりします。こっちの言動はきっちり見ているので、油断出来ません。
仏教では『諸法無我』という言葉があります。何事にも絶対的な自我は無い、という意味の言葉で、浄土真宗に限らず仏教全般において使われる真理の一つです。そしてその背景にあるのは『縁起』の道理です。
私たちは、様々な縁起を頂きながら日々を過ごしています。人生というスパンで考えれば、生まれてからすぐは親や家族から、学校に通うようになれば友達や先生から、部活に入れば先輩や後輩から、会社に入れば上司や部下から、これ以外にも数えることが出来ないほどの縁起によって私たちは形成されていて、だからこそ『無我』である、というのが仏教の考え方です。
子供の成長は早いとよく言いますが、これを仏教的に解釈すれば、『子供は受けてきた縁起がまだ少ないから、ある一つの縁起によって大きく変化しうるから』ではないかと思っています。自分の子供を見ていても、離乳食を始めたとき、保育園に通い始めたとき、妹が出来たとき、これ以外にも節々のタイミングで驚くべき成長を目にすることが出来ます。昨日まで出来なかったことが急に出来るようになったり、興味を示さなかったことに興味を示すようになったり、話せなかったことを言葉にするようになったりします。
自分の小学校時代を思い返してみると、普段の何気ない授業の内容よりも、遠足や修学旅行のことを覚えています。新しい刺激が縁起となり、自分自身をまた形成していくわけです。
これから、私の子供たちも人生の中で様々な縁起に触れていきます。その都度どうやって成長していくのかを見守るのと同時に、新しい縁起に触れられるような環境づくりをしていきたいなと思っています。
また子どもたちは二人とも、本山・東本願寺で初参式をさせて頂きました。生まれて間もなく阿弥陀仏に御縁を頂けたことを大変ありがたく思っております。これから私たちは、阿弥陀仏の慈悲の光に包まれ、父や祖父を始めとするご先祖様に背中を支えてもらい、そしてそれらに感謝と恭敬の心を抱き、日々を歩んでいく所存です。
南無阿弥陀仏
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