青天井の物欲
1/25のブログです。
こんばんは。
法善寺住職の中山龍之介です。
最強寒波の名の如く、今日はとびきり寒い1日でした。家を出るとき、寒さと風で一瞬ゲレンデにいるのかと錯覚し、お寺に行くと池の水が凍っていました。お墓に行くと、お花筒の中に入っている水が凍っていたり、庭では霜が降りていたり、至る所に寒さの影響を見て取れました。
ただ、『寒かった』という表現で括れるくらいの東京は、まだ大したことなかったのかもしれません。ニュースを見ると、高速道路で立ち往生になっていたり、雪で地面が覆われていたり、生活に大きな支障が出るレベルです。出来るだけ多くの人が、無事に日常を取り戻せますように。
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青天井の物欲
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今日は25日でしたので給料日だった人も多いんじゃないでしょうか。かく言う法善寺も25日が給料日でして、今日私もお給料をいただきました。相変わらず給料日というのは嬉しいものですが、何に使おうかと考えると少し手が止まるようになってきました。
そもそも、結婚していて、子供もいて、家賃もあって、光熱費もあって、となると自由に使えるお金は制限されます。その分家族での幸せがあるので別に問題ないのですが、自分自身も目立った物欲が無くなってきた感じがします。満たされている、と言えば聞こえがいいのかもしれませんが、本音を言うと『何かを買ったところで、終わりが無いしな。。。』と冷めた考えを持っています。
人の物欲というのは恐ろしいもので、上限がありません。『〇〇が欲しい!』と思ってやっとの思いで手に入れても、満たされるのはほんの一瞬。少し時間が経てば『〇〇の別カラーも欲しい!』とか『〇〇のプレミアムラインのやつが欲しい!』と思ってしまいます。それを手に入れてもまた同じ、この繰り返しに終わりはないように思えます。
そう考えると、自分が本当に欲しいものって何なのか、分からなくなっていきます。欲しい物がアイスクリームくらいなら別に困りはしませんが、高価なものの場合、もし手に入れられてもそれで満たされなかった時が恐ろしすぎます。そもそもそんなのを買う余裕がない中で背伸びして買ったのに、所有すること自体に満足してしまったら、次はありません。残るのは、一瞬の物欲を満たしてくれた何かです。
まあ、取らぬ狸の皮算用だというのは重々承知していますが、無駄な買い物はしたくありません。『〇〇がない人生で良いのか』という判断基準を設けてみても、手に入れたところで満足するかどうかは別問題です。収入の多い少ないで多少の違いがあるにせよ、たくさん稼いでいたところで物欲が満たされることはないんだろうな、というのは世界のセレブを見ても思います。要は、どこで自分を満足させるか、という話になるのでしょう。
そのラインを見極めるのが幸せを見極めるのと同義であり、それを探すのが人生なのかなと思ったりします。少欲知足と言いますが、そのラインがスッと見極められれば良いんですが、なんとも難しいことです。
今日もブログをお読みいただきありがとうございます。幸いにも生きることには困っていませんので、とりあえずこのまま暮らしていきます。
南無阿弥陀仏
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