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髪の毛が伸びて思う事

3/29のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


午前中に久々に書道に行ってきました。3月も終わるというのに、3月最初の書道です。1階の事務局で課題が載っている見本誌を買っていたら研究科の先生がいらっしゃったのですが、眼鏡を取って二度見されるくらいレアキャラになっています。


久々の2時間はあっという間でした。前半は法帖として張玄墓誌銘の臨書(本当は提出でしたが延ばしてもらいました)、後半に濫觴(毎月の課題)の制作を行いました。4月はいつもの課題やら法帖以外に、書作展に向けての作品作りもしなければいけません。本当なら3月も作品作りに費やされるべきところでしたが、そっちに割く時間がなく、私の場合は4月に集中して書きこむことになりそうです。担当していただく先生にもご心配とご迷惑をおかけしてしまいましたが、ここから巻き返せるように頑張ります。


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髪の毛が伸びて思う事

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そんなこんなでバタバタした3月を過ごしておりましたら、散髪に行くことも出来ておりませんでした。スケジュールを見てみると、前回行ったのが2月4日なのでほぼ2ヶ月髪を切れていません。そりゃセットもしにくくなるし、もみあげもくるくるしてくるわけですね。


社会人として、身だしなみはきちんとしないといけないなと思う34歳なのですが、中学の時は髪の毛をセットしたりするのは禁止されていたことを思い出しました。今で言うブラック校則なんでしょうか?ワックスなんて学校に持ってこようものなら、即没収される世界線です。高校では禁止こそされていませんでしたが、髪の毛をセットしていると『カッコつけてるのか?』みたいな雰囲気はありましたので、まともにセットしていなかったと思います。


社会は我々にそんな学生時代を過ごさせているくせに、大人になると髪の毛をセットしていない方がダメだと言われます。いわゆる身だしなみの一つなわけで、髪の毛をセットすることに関しては賛成でしたが、社会人なりたての若い自分にはそこそこのカルチャーショックでした。『え、真逆じゃん』と思った記憶があります。


どうしても日本だと、右に倣えといいますか、『Rules are rules』といった価値観があります。だからこそ規律正しい日本人なわけですので悪い面ばかりではありませんが、やっぱり変なものは変だと言える土壌も大切です。


昨日今日で話題のアカデミー賞の授賞式でも、誰一人マスクを着けていないし、ソーシャルディスタンスだって取っていません。日本人でも現地に行ったら同じように振舞っていて、受賞発表された際にはハグをして喜んでいました。もちろんPCR検査とかしているんでしょうが。


ハグしたりすることが全然悪いことだと思いませんが、一方それを報じる日本のワイドショーは距離を取って、アクリル板を置いています。みんな薄々、『もう、、、いいんじゃないのか、、、?』と思っているはずですが、そこの一歩をなかなか踏み越えることが出来ずにいるのが今の日本なのかな、と感じてしまいます。そんなことを言いながらも、私も律儀にマスクを着けていますが。花粉症だし。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。現状から変わるのは、なんにしても難しかったりしますよね。



南無阿弥陀仏

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