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2年ぶりの父の音声

11/25のブログです。


こんばんは。

法善寺住職の中山龍之介です。


25日の金曜日、ということで諸々バタバタとしておりました。銀行回りをしたり、実は明日に控えた浅草仏教会第三部内での年末調整の説明会の準備をしたりしていたら、あっという間に時間が過ぎていきました。


そうなんです、ついに年末調整の季節がやってまいりました。昨年ガッツリ取り組んだので、大まかなやり方は理解しているつもりですが、細かいところになると色々と分からないところが出て来るんだろうな、と推察します。助けていただきながら、何とか進めていければと思っております。


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2年ぶりの父の音声 ================


昨日のことになりますが、木曜日ですので夜に声明学園がありました。恒例の説明になってしまいますが、東本願寺に伝承される声明作法を教えるための学校でして、私の祖父が昭和43年に開校しました。2年生ですが、卒業後は研修科に在籍することが可能で、私はその研修科で1年目を迎えております。


昨日の授業は、『往生礼讃(おうじょうらいさん)』という偈文の読み方を習いました。浄土真宗における七高僧のお一人である善導大師(中国)がお書きになったものだそうで、東本願寺では春・秋のお彼岸の初日・お中日・結願日(最終日)に読まれるものになります。ただ法善寺ではお彼岸には同朋奉讃を読んでおりますので、個人的には恥ずかしながらあまり馴染みのない偈文でございます。


実は先週のうちに、同じ研修科にいらっしゃるベテラン生徒の方に、私の父が往生礼讃を教えたときの音声データをいただいておりました。頂いたこと自体は有難かったのです、父が亡くなってから父の声を聞いていなかったもので、少し気が引けておりました。ただこれも良いきっかけかなと思い、頂いた音声を再生し、父の授業の模様を聞かせていただきました。


2年以上ぶりに聞く父の声は、懐かしいような、今でも毎日聞いているような、そんな不思議な感覚を呼び起こさせてくれました。また、あの父がこんな優しく丁寧に授業をやっていたんだ、ということに驚きました。節や高低などを、自分のお手本とともに細かく指導していて、ちょっと感動しました。


肝心の授業の感想ですが、まだ2週しか習っておりませんが、往生礼讃は特に口伝の要素が強そうな偈文であります。元々声明は口伝ですので色々な称え方があってしかるべきものではありますが、往生礼讃は特に緩そうと言いますか、色んな解釈が取れそうな節のオンパレードです。正信偈の真四句目下っぽい節のところもあれば、もっと調子のよいところもあったり、今までの慣れた感じでいくと痛い目を見てしまいます。


昨日の先生が仰っていたのは、調子が良い節のところでも、跳ねないように気を付けましょう、とのことでした。どうしてもその調子に声を任せていってしまいがちですが、きちんと調子を落ち着かせて称えるのが大事みたいです。どちらにせよ、もっと往生礼讃自体に耳馴染みを持たないといけませんので、また父の音声を聞いて、復習しようと思います。


今日もブログをお読みいただきありがとうございます。それにしても親父は声が低かったな。



南無阿弥陀仏

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